ボンタンアメの仲間
ソフト梅アメ。
ボンタンアメと同じ会社が出している商品。
たまたま見つけて、「かつお本枯節だし」の文言が見逃せずつい買ってしまった。
梅かつお味なのだろうかと、興味津々でパッケージを開けた。
飴本体は、キャラメル色で、ボンタンアメシリーズのスタンダード、オブラートで包まれている。
私も人との会話に於いて、ボンタンアメ並みの綺麗なオブラート包みを見習いたい。
そんな事はどうでもいいのだ。
飴と書いてあるが、たまに今流行りのしょっぱい味かも、しかも、鰹とかいてあるので、シーフードの気配も感じる個性派かもしれないと恐る恐る口にした。
心配とは裏腹に、鰹はささやかに、梅の香りも上品で酸味もまろやかで、わずかな塩気で、甘すぎず思った以上に美味しい!
暑い日に、お茶と共にいただくと逃げたナトリウム分と同時に糖分も摂れて疲れが取れそう。
昔から思っていたが、このシリーズの飴のベースはもち米だから、「餅」ではないのかと思うのだが、和菓子的にはOKなのだろう。
現代の、ナウでヤングな方々にもおすすめしたい。
人体の不思議
数週間前から左上の歯が痛みはじめた。
歯肉炎かもしれないと、歯磨きをいつもより念入りにするようにした。
しかし、治るどころか3日前から小走りする振動でかなりズキズキと痛みが増す様になってしまった。
子供の頃のトラウマで、歯科へかかるのが大嫌いでなるべく行きたくなかったが、これ以上重症にならない様に諦めて行く事にした。
歯科で痛みのある場所を告げ、衛生士さんが軽く歯を叩く。
が、痛みは無い。
「その前後の歯も調べて下さい。」と衛生士さんに伝え叩いて調べてもらうも、痛まない。
衛生士さん 「見た目もおかしくないので、レントゲンを撮らせて下さい。」
と仰るので、内部も診てもらった。
歯科医師の説明は、「歯も、歯茎も異常はありません。もしかしたら、この部位の側に、副鼻腔があるのでそちら由来の痛みかもしれませんね。」
と言われ、特に何もされずに歯科を後にした。
ホッとするも、今度は耳鼻科に行く事になった。幸い側に耳鼻科があるのでついでに行ってみた。
耳鼻科医(アスリート)に訳を話すと、レントゲンで副鼻腔の状態を診てもらった。
酷くはないが、軽い炎症がみられるそうなので、しばらく抗生剤を服用することになった。
歯が痛いのに鼻が悪かったとは思いもよらなかったなぁ。
人の体って不思議だな。
そういえば、数年前濡れた床で滑って転び、派手に尾てい骨を打ち付けて整形外科を受診した時の事。
私の腰部レントゲン写真を見た医師が、「えーー!?⤴︎」と奇声を上げた。
相当酷く傷めたんだとおののいていたら、
医師「ちょっと来て来て!」
看護師「どうされましたか、先生」
医師「見てよこれ。ね?」
看護師A「あっ!」
医師「こんなの初めて見た、なあ?尾てい骨が曲がってる!」
私は曲がる程強く打ち付けてしまって、これからの治療を心配していた。
私「あの、そんなに重症なんですか?」
医師「いや、大丈夫、大丈夫。骨自体にダメージは無いから湿布出しときます。それにしても面白いよな。君も来て見てみなさい。」
看護師B「うわー、曲がってますね。」
医師「これは、猫の曲がり尻尾と同じだよな!」
看護師A、B「そうですね、初めて見ました。」
と、医療スタッフどもが私の尾てい骨で盛り上がってたので、なんだか嫌だなと思い、湿布を握りしめ医院を後にした。
人体って色々あって不思議だ。
私に似た人
なぜか、昔から人違いをされる。
他県から熊本県に越して来た当初から、知らない人に「○○ちゃん」と全然知らない名前で呼ばれる事がたまにある。
子供の頃は警戒心が強かったので、「声掛け事例か」と疑ったが、相手の話しを聞いてみると「姪にそっくり」だとか、同年代だと「友達にそっくり」だとか私に似てる人が日本国中に複数人いるようだ。
人によっては一方的に一気に話して、さよならと帰っていく人もいた。
中には、とぼけていると疑われて本当に違うのかと問われることもあった。
最近も「××さん?」と問われた。
「違いますよ」と丁寧に人違いと伝えると、「えーっ そっくり!」と不思議がられた。
今は携帯やスマホがあるので、私に似てる人の写真がないか聞いたら、撮ってないそうで、その場で私の写真を撮って相手に見せて欲しいと言ったけれど、生憎写真を撮るツールを忘れたそうで残念そうにしていた。
私も幼い頃からの歴代そっくりさんに会いたいよ。
ちょっと待て、オカルト話ではドッペルゲンガーに会うと何か良く無い事がおきるなんて聞いた事があるぞ。
小学5年の頃、流感で高熱を出して家で動けず寝込んでいた。
すると買い物から帰って来た母が、「あんた熱あるのになんでニコニコ堂をうろついてたの!」と凄い剣幕で怒鳴られた。
体がだるくて動けないのに、ニコニコ堂までは自転車で5~6分は掛かる。
ずっと寝てたと言うと、「親が見間違える訳ない」と言って信じてもらえなかった。
その幻の私は同年代の少女と談笑していたそうな。
当時は談笑する友達なんて居なかったから絶対私ではない。
会いたい様な、怖いような、ドキドキしちゃう わたしの胸。
大地震からひと月たったんだなぁ
4月14日の夜と16日未明に起こった大地震からひと月たった。
まさか二日連続で大規模な地震が起こるとは夢にも思わなかったよ。
毎日、当たり前だった日常が特別に幸せな日々だった事を思い知った。
何も無い日がどんなに幸せか分かっている様で分かっていないんだと今回の体験で身につまされた。
人が造りあげて来たものが一晩、いや、二晩で簡単に崩れ去る光景を初めて見た。
住む家を失い、仕事を無くし、未来の展望が見えない人で溢れている。
ひと月たった今、疲れ果て具合が悪くなる人が増えてきた。
そんな中でも、嬉しいこともたくさんあった。
全国の皆さんからの温かいご支援の数々。大変な思いをしているにもかかわらず避難所で見知らぬ同士でも思いやりを見せる人々。
今回、怖い思いや、不安な思いをしたけれども、地元民は素晴らしい魂を持った方々がたくさん居る事に気づけた。
まだ規模は小さくなったものの、地震が起こらない日はないので油断が出来ないけれど、へこたれながらも小さな良かった出来事を見つめながら毎日を送りたい。
ペットロスとの葛藤
動物を飼って、別れを経験した事のある人なら経験があるだろう。
飼い始める時点で、お別れの日が来ると頭の隅に置いてはいたが、亡くなり方が酷かったせいか、どうにも立ち直れない。
年を取って、老衰して亡くなるのであれば少しは違うだろう。
自分自身の不注意で殺してしまい、突然の別れをしてしまったので、後悔と罪の意識に苛まれ続けている。この苦しみは全て自分が悪いとわかっているのだが・・・。
しかし、一番苦しく悔しかったのは、飼い主に殺されてしまったぴーちゃんだ。
どう謝っても嘆いても決して帰っては来ない。
この苦しみが、ぴーの命の灯が消える間際まで味わった苦しみの一部を共有しているのだと思い、苛まれ続けるべきだと思う。
他人に話すと、「鳥」というだけで、「それくらいの事で・・・」と笑われるが、犬も猫も鳥も、大切に育てると亡くなる時は同じ感情を抱くことを知ってほしい。
身体が小さいから軽くみられがちだが、小動物や観賞魚も哺乳動物と変わらないくらい賢く気高い生き物なのだ。
魂のサイズは同じなのだ。
他人の前ではメソメソできないから空元気で頑張っているが、私はもう暫く、ペットロスの苦しみを味わい続けるのだろう。
ぴーちゃんと暮らして
文鳥のぴー。
ファーストコンタクトは、こんなにか弱く未熟で幼かった頃。
ペットショップに電話して、文鳥のヒナが入荷したら連絡を受けることにした。数週間後に連絡があり、複数の文鳥のヒナの中から真直ぐこちらを見て寄ってきたヒナ。
準備していたフゴに入れて抱いて帰った2009年の秋。
差し餌を順調に食べ、羽毛がすべて開き、フゴの淵に立って飼い主を出迎えるようになった頃。
この頃は、誰の手にも乗り、おとなしく素直な文鳥の子だった。
後に、凶暴化するとは露程もわからなかった時期だ。
差し餌を卒業し、自分で餌をついばめるようになり、「ぴーは偉いねぇ、もう一人前だね!」と声を掛けると、ドヤ顔で振り向いていた得意気な幼鳥ぴー。
この時期から、徐々に凶暴化が進む。
すっかり成鳥になり、飼い主と認定された私にしか懐かなくなったぴー。
他の家族には噛むは蹴るは、威嚇声をあげるはで、とにかく私以外の者に言わせると、「憎たらぴーちゃん」に成長してしまった。
二世が欲しくて、ぴーが2歳の頃に雌の若い文鳥を連れて来た(ちぃちゃんと名付けた)が、幼いころから人が育てたせいで、若く可愛い雌文鳥など全く相手にせず逃げ回るばかりだった。
文鳥は賢いので、自分の想いが伝わらない原因の根源は飼い主にあるとすぐに理解し、邪魔な存在の私を攻撃し始めた。
しかし、他の家族には懐いたので、「ぴーよりこの子は可愛いねぇ。」と可愛がられた。
ちぃちゃんが、卵を産む頃に、ぴーも少し慣れて、隣で寝ることを許しはじめたが、ぴーを羽繕いしようとすると、容赦なく突かれていた。そのとばっちりで、私がちぃちゃんに噛まれた。
それからもう少しだけ仲良くなり、ぴーがその気になったが、交尾の仕方がわからず、ちぃちゃんの頭に乗るので、我慢していたちぃちゃんも堪忍袋の緒が切れ、ぴーを突き倒していたのが滑稽だった。
鳥を飼って初めて、繁殖とは本能の部分と学習の部分があるんだなと知った。人と同じなんだね。
そんなこんなで、仲良く喧嘩しながら暮らしたペアだったが、2013年の5月19日に、残念ながら若くして卵詰まりだろうと思われる死因でこの世を去った。知ってはいたが、雌の卵詰まりによる突然死はショックだった。前日までとても元気だっただけに。
人間たちは、ちぃの死を悲しんでいたが、ぴーはドライなもので、何ら変わりない生活をおくっていた。それどころか、のびのびとしているように見えた。
寒い日はひよこ電球の上で暖をとることを覚え、放鳥時には人の行動に目を光らせ、初めて見る道具や飾りがあれば、必ず確認していた。
特に、紙系の物には目がなく、博多せんぺいについてくるお面をクリアファイルに仕舞うと、それを見ていて、他の書類は無視してお面だけを選び引っ張り出すことはいつもの事だった。
鳥が馬鹿だという人が多くいるが、とても賢い動物だと飼ってみたらわかるはずだ。
ペンタブレットの芯をパスタにした時、味が気に入ったのか、全て食べられてしまった時の写真。なんて可愛いんだろう。
そんな賢く可愛いぴーちゃんを、今日、失ってしまった。
全責任は私にある。
私の油断で、ぴーは残酷な死に方をしてしまった。
どんなに苦しかったか、痛かったか、想像すると堪らない。しかし、一番辛かったのはぴー自身だった。
こんなお別れをするとは想像していなかった。
まだぴーは生きられたはずだ。
私が殺してしまった。