おもい出したこと diary

日々の出来事を記録する日記

童謡「あめふり」に思うこと

『あめふり』 作詞:北原白秋、作曲:中山晋平

あめあめ ふれふれ かあさんが
 じゃのめで おむかい うれしいな
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの
 あとから ゆこゆこ かねがなる
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ
 やなぎの ねかたで ないている
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
 きみきみ このかさ さしたまえ
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
 おおきな じゃのめに はいってく
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン


とある講演会で、童謡「あめふり」を例に出して相手に対する思いやりについてお話された。

歌詞の中の

あらあら あのこは ずぶぬれだ
 やなぎの ねかたで ないている
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか
 きみきみ このかさ さしたまえ
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの
 おおきな じゃのめに はいってく
 ピッチピッチ チャップチャップ
 ランランラン

柳の根方で濡れて泣いている子に、母さんの了承を得て自分の傘を貸してあげる件がとても思慮深い。
少年はお母さんが雨降りに迎えに来てくれて、一緒に帰る嬉しさに浮かれているのに、他人にも気を配れるなんて凄い、そんな思いやりのある人になれたらとおっしゃっていた。

確かに自分が浮かれていると周りが見えなくなる事もあるが、幸せな気持ちだからこそ心にゆとりが有り、周りの心配が出来るのではないかと思った。

雨の日に一人でずぶ濡れで惨めで心細い所に、お母さんと一緒に楽しそうに歩いてくる少年が近づいてきたら、私だったらうらやましく思ってしまう。
その上、少年が自分の傘を貸してくれようものなら、有り難いけれども憎らしい気持ちになってしまう。

傘が一つ無くなっても、お母さんの傘に一緒に入ってもっと幸せな気分で帰って行く少年を、傘を借りてしまったずぶ濡れの子はどんな気持ちだったのだろうかと思うと複雑だ。

素直な子なら「傘が借りられてラッキー」と思うが、もしかしたら孤児かもしれないし、親のいる家庭を羨ましく思っていたら、「こんな傘、捨ててしまえ!」と捻くれた気持ちになってしまうかもしれない。

童謡だからあまり深く登場人物の事情を考える必要は無いのかもしれないが、大人になった今この歌詞を見ると邪推してしまう。

だって、自分が惨めな時は他人に優しくなんかできないんだもん。

まだ人間が出来ていない39才児の独り言。