ぴーちゃんと暮らして
文鳥のぴー。
ファーストコンタクトは、こんなにか弱く未熟で幼かった頃。
ペットショップに電話して、文鳥のヒナが入荷したら連絡を受けることにした。数週間後に連絡があり、複数の文鳥のヒナの中から真直ぐこちらを見て寄ってきたヒナ。
準備していたフゴに入れて抱いて帰った2009年の秋。
差し餌を順調に食べ、羽毛がすべて開き、フゴの淵に立って飼い主を出迎えるようになった頃。
この頃は、誰の手にも乗り、おとなしく素直な文鳥の子だった。
後に、凶暴化するとは露程もわからなかった時期だ。
差し餌を卒業し、自分で餌をついばめるようになり、「ぴーは偉いねぇ、もう一人前だね!」と声を掛けると、ドヤ顔で振り向いていた得意気な幼鳥ぴー。
この時期から、徐々に凶暴化が進む。
すっかり成鳥になり、飼い主と認定された私にしか懐かなくなったぴー。
他の家族には噛むは蹴るは、威嚇声をあげるはで、とにかく私以外の者に言わせると、「憎たらぴーちゃん」に成長してしまった。
二世が欲しくて、ぴーが2歳の頃に雌の若い文鳥を連れて来た(ちぃちゃんと名付けた)が、幼いころから人が育てたせいで、若く可愛い雌文鳥など全く相手にせず逃げ回るばかりだった。
文鳥は賢いので、自分の想いが伝わらない原因の根源は飼い主にあるとすぐに理解し、邪魔な存在の私を攻撃し始めた。
しかし、他の家族には懐いたので、「ぴーよりこの子は可愛いねぇ。」と可愛がられた。
ちぃちゃんが、卵を産む頃に、ぴーも少し慣れて、隣で寝ることを許しはじめたが、ぴーを羽繕いしようとすると、容赦なく突かれていた。そのとばっちりで、私がちぃちゃんに噛まれた。
それからもう少しだけ仲良くなり、ぴーがその気になったが、交尾の仕方がわからず、ちぃちゃんの頭に乗るので、我慢していたちぃちゃんも堪忍袋の緒が切れ、ぴーを突き倒していたのが滑稽だった。
鳥を飼って初めて、繁殖とは本能の部分と学習の部分があるんだなと知った。人と同じなんだね。
そんなこんなで、仲良く喧嘩しながら暮らしたペアだったが、2013年の5月19日に、残念ながら若くして卵詰まりだろうと思われる死因でこの世を去った。知ってはいたが、雌の卵詰まりによる突然死はショックだった。前日までとても元気だっただけに。
人間たちは、ちぃの死を悲しんでいたが、ぴーはドライなもので、何ら変わりない生活をおくっていた。それどころか、のびのびとしているように見えた。
寒い日はひよこ電球の上で暖をとることを覚え、放鳥時には人の行動に目を光らせ、初めて見る道具や飾りがあれば、必ず確認していた。
特に、紙系の物には目がなく、博多せんぺいについてくるお面をクリアファイルに仕舞うと、それを見ていて、他の書類は無視してお面だけを選び引っ張り出すことはいつもの事だった。
鳥が馬鹿だという人が多くいるが、とても賢い動物だと飼ってみたらわかるはずだ。
ペンタブレットの芯をパスタにした時、味が気に入ったのか、全て食べられてしまった時の写真。なんて可愛いんだろう。
そんな賢く可愛いぴーちゃんを、今日、失ってしまった。
全責任は私にある。
私の油断で、ぴーは残酷な死に方をしてしまった。
どんなに苦しかったか、痛かったか、想像すると堪らない。しかし、一番辛かったのはぴー自身だった。
こんなお別れをするとは想像していなかった。
まだぴーは生きられたはずだ。
私が殺してしまった。