佐世保へ行って来た
先日、佐世保に行って来た。
メインは九十九島遊覧船に乗る事が目的だが、他にも見どころがあるので、初日は観光タクシーで西海方面を案内していただいた。
梅雨時期でもあり、この日はずっと雨が降り続いており、まずは浦頭引揚記念公園と資料館に行った。
主に朝鮮半島や中国大陸から終戦後、命からがら帰国された方々の記録が資料館に残されていた。
港に着くとまず検疫が行われ、DDT噴霧による消毒が済むと、疲労困憊のなか収容先となった佐世保引揚援護局(元針尾海兵団)までの約7キロメートルの山道を徒歩で移動し、着替えなどの日用品の配給を受けて2~3日滞在し、それぞれの郷里についたと伝えられている。
帰国する船に乗れたのはいいが、食糧難のため栄養失調で病に伏し船上でお亡くなりになった方々の記録も残されていた。
平日で人が少なかったが、ここをあえて訪ねていらっしゃる方は、思い入れが強く、当時の事を思い出したり、親族の気持ちを慮って涙される方が多いと資料館の方がおっしゃっていた。
霧がかかっていて不鮮明な写真だが針尾無線塔。
高さが136mあり、大正11年(1922年)旧日本軍が建設したものが現在も無事に残っているとは、当時の建築技術はすばらしい。
真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ」を発信した無線塔のひとつであるということで、現存している無線塔はこれだけだそうだ。
タクシーの運転手さんがおっしゃっていたが、上空から見ると正三角形に配置されていて、第二次世界大戦の時米軍からの空爆を逃れたのは日本を占領した後この性能が良い無線塔を利用するためではなかったのかとおっしゃっていた。
そして、「天気が良いなら、もっときれいに見えてスケール感がわかるとに、残念ねー。」
と悔やんでいらっしゃった。
新西海橋の下は遊歩道になっていて、観光客の他に近所の方の散歩コースにもなっているようだ。
橋の下は、春に渦潮が見られ、その他の時期も大潮の日は迫力の渦潮が見られるそうだ。
ちょうど行った日の二日後が大潮で、この日は小さい渦潮があちこちに出来ていて、なかなか写真には収められなかった。
ここでも運転手さんが、「天気が良いならねー。ここから見る展望は最高なんだけど、惜しかねー。」
と、悔やんでいらっしゃった。
床に丸窓が何か所かあり、下を覗くと海が見える。
けれど悪天候でもやが掛っていて、高低差の怖さがかなり和らげられていて助かった。
新西海橋のたもとにある東屋で、猫が数匹雨宿りしていた。カメラを向けると食べ物をくれるのかと勘違いしたのかすり寄ってきて、なかなかまともな写真を撮らせてはもらえなかった。
思いがけずフレンドリーな対応に戸惑ってしまった。
もとは洋食だが、この店ではレモンステーキ定食になっていて、見事に和食っぽい雰囲気になっている。
焼いた薄い肉に、レモンを使った甘酸っぱいソースで味付けされていて、さっぱりして食べやすい。
ステーキと言うと厚みのある肉が常識だが、肉が薄いので噛み切りやすく、歯の弱い方も美味しく食べられるバリアフリーなメニューだ。
九十九島観光ホテルに宿泊。
夕食の品数が多くて嬉しい驚き。
海の近くだからか、魚料理が新鮮でおいしかった。
鯛しゃぶ
お吸い物
茶碗蒸し
蒸し物のあんかけ
海軍ビーフシチュー
鯛飯
果物